シオン幼稚園 > 幼稚園の紹介

シオン幼稚園について

シオン幼稚園は日本キリスト教団船橋教会の祈りと願いで建てられた、キリスト教幼稚園です。
子育ての日々を過ごすお母さま方にとって、どなたにも開かれた場所でありたいと願っています。

沿革

1966年 創立。「シオン幼児園」としてスタート。
1998年 千葉県知事の認可を受け、「シオン幼稚園」として公認。
以来、子供たちの「生きる力」を支えて参りました。


園長からのごあいさつ

園長からごあいさつ ~2017年度11月号/10月号~


11月号より
 長い雨の後の久しぶりのお日様は眩しいくらいでしたが、その下で嬉々として遊ぶ子どもたちはお日様以上に眩しいものであります。遊ぶ姿にも変化が見られ、年少さんたちも先生を頼りにするのでなく、お友だちとしっかり遊びこみ始めています。“出会いの第1保育期”から“つながりの第2保育期”へと変わっているのが感じられます。
 成長の様子は幼いリトルシオンの子どもたちの中にも見て取れます。リトルシオンは“週1回、お母様と一緒”の活動ですからなかなか本来の姿が見えにくいのですが、それでも今くらいの時期になると自らの内なるパワーが抑えきれないとでもいうように持ち味が表れてきています。先日は粘土でケーキを作ったのですが、ふわふわの粘土がべたべたになるまで練り込むのを楽しむ子、飾りのドングリを几帳面に並べる子、盆栽のように枝を一杯さす子など、同じ活動でもその子なりが見えてとても微笑ましいものでした。その中に、粘土を細く伸ばして飾る作業を夢中でやっている子がいました。たっぷりの時間があったにも拘らず、終わりの時間と言われても、おやつの準備が始まっても黙々と作り続けてお母様も困り顔でした。でも先生は「満足するところまでやっていいですよ。」と、ホールの端にその子のための場所を作って続けさせてあげました。それから間もなく、粘土を全て使い終わると彼はその「ケーキ」を台の上に置き、大急ぎで手を洗いに行っておやつの席に着いたのでした。その時の満足そうなお顔!
 集団の中にいると大人はつい『みんなと同じ』を求めたくなります。けれどもこの時期に大切なのは自分のやりたいと思う事を満足するまでやること。それがしっかりと保証された上で、次に『みんなと』という段階に入るのだと思います。順序を逆にはできないのです。傍らで見守っておられたお母様に「納得するまでやり遂げたいという持ち味は素敵ですね。」と声をかけると「そういう見方もあるのですか~」と嬉しい驚きのご様子でした。リトルシオンのみんながシオン幼稚園に入園するのではないのですが、どの園に進んでも自分の持ち味を生き生きと出せる幼児の時を過ごしてほしいと切に願うところであります。
 リトルさんを送って外に出ると、そこには「1・2・3…!」と声を揃えながら縄とびをしている年長さんたちがいました。いつの間にか「みんなと合わせる心地良さ」を味わえる段階に入っているのだな~と感じました。すぐ先に見えてきた小学校での生活が今度はふさわしい場所になっていくのだとの思いもこみあげ、急に往く日々が愛おしくなった秋の一日でありました。
                                       廣田雅子


<10月号より>
  ♪大きな栗の木のしたで~♪ この歌はシオンにぴったり…つくづくそう思いながら園庭の子どもたちを見ています。その大きな栗の木の下で子どもたちは運動会ごっこに盛り上がっています。何回かの運動会ごっこ通して、どんなことをするのか段々とイメージが出来てくるものの、運動会当日には、園庭に万国旗がはためき、入場門が備えられ、お客様が次々と集まってきて幼稚園の様相は一変します。そうなると、更に気持ちが盛り上がりやる気満々になる子がいますが、反対に、一気に不安で胸いっぱいになる子もいます。どちらも幼い子どもたちには自然な感情でありましょう。
  私事で恐縮ですが、我が家には運動会にまつわる1枚のビデオがあります。今でいう未就園児クラスに入っていた息子の、初めての運動会を映したものです。開会の前に息子を子ども席に送る私と、置いて行かないでと私を追ってくる子ども。それをまた送り出す私、再び追いかけてくる子ども。険しい顔の私、泣きべその息子の顔・・・。「なんでみんなと同じ事ができないの?」情けない想いがこみあげていたことを今も思い出します。お恥ずかしい有様ですが、一杯一杯の新米ママでありました。
 そんな私も、彼が入園して(シオンと同じキリスト教会附属の幼稚園でした。)その園生活の中で「ゆっくり待ちましょうね。」「大丈夫、待ちましょう。」と語りかけられていくうちに、よくわからないながらも「先生たちが待っていてくれるんだから、私も待ってみよう。」と心に決めた覚えがあります。子育ての中に“褒める・叱る・愛する・しつける”という言葉はあっても、『待つ』という言葉があるなんて知りませんでした。そのあたりから、親が引っ張る子育てでなく、子どもと共に育つ子育てに変わっていったような気がします。敬愛する佐々木正美先生に出会ったのもこの頃です。先生から示された『信じて待つ』。初めは「子ども(・・・)の(・)持つ(・・)力(・)を信じて待つ」と考えていましたが、子どもそのものが信じられなくなるような苦しい時期も経て、いいや、信じる先は子どもだけでなく「子どもも私も包んでくださる神様(・・)を信じて待つんだ!」と確信するようになりました。
  先日、保育誌の中に「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を見つけました。「すぐには答えの出ない事態に耐える力」のことだそうです。まさにすぐには答えの出ないのが子育てです。答えの出ない状態に耐えられる力が備わるよう神様に祈りながら、『信じて待つ』の大前提のもとで、各々が心いっぱい動かして、豊かに関わり合って秋の日々を過ごしてまいりましょう。
                                       廣田雅子




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